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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)676号 判決 1966年2月17日

原告 亡坂田圧太郎遺言執行者 西田米蔵

右訴訟代理人弁護士 中村了太

被告 株式会社 富士銀行

右代表者代表取締役 岩佐凱美

右訴訟代理人弁護士 松山全一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、双方の申立

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し金一、五九二、五五九円及びこれに対する昭和三九年九月二日以降支払済に至るまで年二分一厘九毛の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決及び仮執行の宣言を求めた。

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

二、原告の請求原因

(一)  原告は、亡坂田庄太郎の遺言執行者である。すなわち、亡坂田庄太郎は、生前遺言書を作成し昭和三七年一一月一七日その保管を西田米蔵に托していたところ、右坂田庄太郎は、昭和三九年八月三一日死亡したので右西田は同年一〇月八日東京家庭裁判所八王子支部に遺言書検認の申立(同庁昭和三九年(家)第一六九〇号)をし、四月二三日同庁において右遺言書が開封検認されたが、その遺言書によると西田米蔵、浅野繁の両名が亡坂田庄太郎の遺言執行者に指定されていた。しかして、右遺言書には、遺言として遺言執行者の指定の外坂田庄太郎の寿美病院に対する入院費その他の費用、附添婦に対する費用等を支払った後残余財産があったときは訴外高木基計外九名に対し合計三九万円を贈与し、さらに残余のあるときはその処分を遺言執行者に一任する旨の記載があった。

(二)  ところで、亡坂田庄太郎は、死亡当時被告(八王子支店)に対し普通預金として一、二五八、二一六円(八王子支店第五三二七五号)及び三三四、三四三円(同支店第五二二七六号)の二口の預金債権(以下本件預金という)を有していた。

(三)  よって、原告は、被告に対し本件預金債権合計一、五九二、五五九円及びこれに対する昭和三九年九月三日以降支払済に至るまで普通預金利息の利率年二分一厘九毛の割合による金員の支払を求める。

三、被告の答弁

請求原因(一)の事実のうち坂田庄太郎が死亡したことは認めるが、その余の事実は不知。同(二)の事実は認める。同(三)のうち、普通預金の利息の利率が年二分一厘九毛であることは認めるが、その余は争う。

四、被告の仮定抗弁

仮りに、原告が亡坂田庄太郎の遺言執行者であり、そのため同人の相続人である坂田太郎が本件預金の処分権限を喪失していたとしても、被告は昭和三九年九月二日右坂田庄太郎の唯一の相続人である坂田太郎に対し本件預金全部を払戻しているのであって、その払戻は次のとおり債権の準占有者にに対する弁済として有効である。

(1)  訴外坂田太郎は、昭和三九年九月一日被告(八王子支店)に対し自分が亡坂田庄太郎の唯一の相続人であるが、葬式費用等に必要であるから直ぐに払戻を受けたいと本件預金に関する普通預金通帳及び届出印鑑を呈示した上右預金の払戻を請求した。

(2)  そこで、被告は、坂田太郎に対し同人が本件預金債権を有することを証する書類の提出方を求めたところ、同人は翌二日死亡診断書、戸籍謄本、住民票謄本、印鑑証明書、保証人連署の支払依頼書等を右普通預金通帳又び支払請求書とともに提出してきたので、被告は、坂田太郎を亡坂田庄太郎の唯一の相続人と認め、右預金の正当権利者であると信じて同人に本件預金を払戻した。

(3)  しかして、被告は、右のとおり万全の注意を払い、右各書類を徴して可能な限りの調査をしているのであるから、被告が坂田太郎を右預金の正当権利者であると信じたことに過失はない。

(4)  以上述べたところからして、坂田太郎は、本件預金債権の準占有者であるというべく、そして、被告は、同人を真正な預金債権者であると信じたのであり、またそのように信じたことに過失はないから、被告が坂田太郎に対してした本件預金の払戻は弁済として有効であり、その弁済によって本件預金債権は消滅したのである。

五、被告の仮定抗弁に対する原告の答弁

(一)  被告の抗弁事実のうち、被告が昭和三九年九月一日亡坂田庄太郎の唯一の相続人である坂田太郎から本件預金の払戻請求を受けたこと、同人が被告に保証人と連署した支払依頼書を提出したこと、同月二日被告が同人に対し本件預金全部を払戻したことは認めるが、その余の事実は争う。

(二)  前記遺言書により原告が遺言執行者に指定されているのであるから、相続人である坂田太郎は民法第一〇一三条により相続財産の処分等遺言の執行を妨げる行為をすることができず、したがって、被告の坂田太郎に対する本件預金の払戻は弁済としての効力を生じない。被告の抗弁は、民法第四七八条を根拠とするものであるが、同条と民法第一〇一三条とは相排斥する関係に立ち、本件のように民法第一〇一三条の適用される場合には民法第四七八条の適用は排斥される。

しかも、被相続人が死亡しても、廃除等によって推定相続人が相続権を有しない場合とか、遺言執行者の存在によって相続人が相続財産の処分権を有しない場合もあるから、坂田太郎が亡坂田庄太郎の相続人であるからといって当然に本件預金債権の準占有者であるとすることはできない。また、坂田太郎が右債権の準占有者に当るとしても、被告は善意の弁済者ではない。このことは、被告が右預金の払戻に当り坂田太郎が真の権利者ではないかも知れないことを予想して同人から保証人と連署した支払依頼書、預金名義書換請求書を提出させていることからも証明される。さらに、被告が善意であったとしても、被告は亡坂田庄太郎の死亡日の翌日に坂田太郎から預金払戻の請求を受け、その翌日には早くも払戻をしているし、同人が葬儀費用支払のために急拠被告に預金の払戻を求めたとしても一時に全額払戻したのは軽卒の極みであって、要するに被告において坂田太郎が右預金債権の正当権利者であると信じたことには過失がある。

六、証拠関係 ≪省略≫

理由

≪証拠省略≫を綜合すると、訴外坂田庄太郎は昭和三九年八月三一日に死亡したこと(このうち死亡の事実は当事者間に争がない)、同人の遺言書が東京家庭裁判所八王子支部において同年一〇月二三日午前一〇時の期日に検認されたこと、その遺言書には遺言執行者として西田米蔵及び浅野繁を指定する旨の記載があった外、坂田庄太郎の寿美病院に対する入院費その他の費用、附添婦に対する費用等を支払った後残余財産があったときは訴外高木基計外九名に対し合計三九万円を贈与し、さらに残余のあるときはその処分を遺言執行者に一任する旨の記載があったことが認められ、この認定に反する証拠はない。

二、次に右坂田庄太郎が死亡当時被告(八王子支店)に対し本件預金債権一、五九二、五五九円を有していたこと、被告が昭和三九年九月一日亡坂田庄太郎の唯一の相続人である訴外坂田太郎から本件預金の払戻請求を受け、同月二日同人に対し本件預金全部を払戻したことは当事者間に争がない。しかし、前記一項において認定した前記遺言書の内容によると、坂田太郎は、亡坂田庄太郎の唯一の相続人ではあっても相続財産としての本件預金債権の払戻を受け得なかったものという外ない(民法第一〇一三条)。

三、ところで、被告は、坂田太郎に対する本件預金の払戻は債権の準占有者に対する弁済として有効である旨抗争しているので、その点について判断する。

(一)  まず、原告は、民法第一〇一三条の適用される場合には債権の準占有者に対する弁済が有効であるとする民法第四七八条の規定の適用が排除される旨主張しているので考えるのに、民法第一〇一三条は、遺言の内容が適正に実現されることを目的とし主として受益者の利益を保護する趣旨に出た規定であるが、もし原告主張のように解するときは、受益者の利益は保護されるであろうけれども、遺言執行者の存在を第三者に公示する手段が法律上とられていない結果遺言執行者の存在を知らずに被相続人の債権が相続人に帰属したものとしてこれに支払をした者に予期しない損害を与えるおそれがあり取引の安全を甚だしく害することになる。殊に、債務者が相続人に対して支払をした後に遺言書が発見された場合には債務者に著しく酷な結果を強いることにもなる。しかして、このように取引の安全を害してまで受益者の利益の保護をはかるべき合理的理由もないから、民法第一〇一三条が適用される場合に取引の安全をはかる見地から設けられた民法第四七八条の適用まで排除されると解することは相当でない。したがって、本件においても、被告の本件預金払戻が民法第四七八条の条件を充たす限り弁済として有効であるというべきである。

(二)  次に≪証拠省略≫を綜合すると、訴外坂田太郎は昭和三九年九月一日被告銀行八王子支店に本件預金に関する坂田庄太郎名義の普通預金通帳と預金払戻に必要な同人の印鑑を持参し、窓口にいた同支店の職員にこれを提示して本件預金全部の払戻を請求したこと(但し払戻請求日が昭和三九年九月一日であることは前記のとおり当事者間に争がない)、そこで、同支店の係長である訴外加藤進一が坂田太郎に面接したところ、坂田庄太郎は既に死亡した旨申出があったので、右加藤は、一旦預金の払戻を拒み、坂田太郎が正当な相続人であれば払戻する旨述べた上、預金名義人が死亡している場合の払戻について被告が払戻請求者から徴することとしている書類の提出方を求めたこと、坂田太郎はこれに応じて同月二日坂田庄太郎の被告に対する預金は一切長男としての坂田太郎が相続したもので他には相続財産について権利者はないから同人に払戻されたい旨及びもし他から本件預金について権利を主張された場合には一切責任を負う旨保証人加藤津ねと連署した依頼書(乙第一号証)、預金名義人を坂田太郎に書換えることを求める預金名義書換請求書(乙第二号証)、坂田太郎及び右加藤津ねの印鑑証明書(乙第三、四号証)、坂田庄太郎の死亡診断書(乙第五号証)、坂田太郎の住民票謄本(乙第六号証)、戸籍謄本(乙第七号証)、普通預金請求書(乙第八、九号証)を普通預金通帳と共に提出して被告に本件預金の払戻を請求したこと(このうち坂田太郎が保証人と連署した支払依頼書を被告に提出したことは当事者間に争がない。)、被告は前記遺言書が存在することを知らず、坂田太郎からの提出書類によって同人が本件預金について正当な権利者であると信じて本件預金を払戻したことが認められ、この認定に反する証拠はない。ところで、原告が指摘するように、推定相続人が廃除によって相続権を失った場合とか遺言執行者の存在によって相続人が相続財産を処分できない場合がないではないが、一般的に相続人たるべき者であれば相続財産を処分できるものと考えるのが通常であるし、本件においては坂田太郎は、坂田庄太郎の唯一の相続人である上に(この点は当事者間に争がない)、前記認定の経緯を経て本件預金の払戻請求をしているのであるから、坂田太郎は本件預金の払戻当時一般取引の通念上本件預金の払戻請求権を有するものと認められる外観を保有していたものということができるのであって、したがって同人は本件預金の準占有者であるといって妨げない。

(三)  また、前記認定事実によると、被告は、遺言執行者の存在を知らず坂田太郎が本件預金の正当権利者であると信じて本件預金の払戻をしたこと、すなわち同人に対し善意で弁済したものであることが明らかであるし、また、同人は預金の払戻請求に当って本件預金に関する普通預金通帳及び預金払戻に必要な印鑑を提示しているし、しかも被告が坂田太郎から預金払戻当時徴していた書類によると、同人が坂田庄太郎の唯一の相続人があることを疑う余地はないから、被告が坂田太郎に本件預金の払戻をしたことについて被告は善意無過失であったものということができる。

なお、原告は、被告は坂田太郎が右預金について真の権利者ではないかも知れないことを予想して同人から保証人と連署した依頼書、預金名義書換請求書を徴した旨述べているが、証人加藤進一の証言によると、右書類は前記加藤進一が被告銀行内部の定めに従って提出を求めたに過ぎないことが認められるから、被告が右書類を徴したことをもって被告が右預金払戻当時悪意であったとすることはできない。また、原告は、被告が払戻請求を受けてから短時日に本件預金全部を払戻したことを挙げて被告が善意の弁済者であるとしても過失がある旨述べているが、銀行としては普通預金全部の払戻を請求された場合請求者に請求権限があると信じた以上直ちにこれを応ずるのが当然であるし、もともと債権の準占有者に対する弁済の場合における弁済者の過失の有無は、債権の準占有者に受領権限があると信ずるまでに弁済者がどの程度の調査をし、如何なる根拠でそのように信じたかによって決せられる問題であるから、原告主張の事実があったからといって被告に過失があるといえないことはいうまでもないことである。

(四)  以上説示したところによれば、被告の坂田太郎に対する本件預金の払戻は債権の準占有者に対する弁済として有効であり、本件預金債権は消滅したものということができるから、被告の抗弁は理由がある。

四、よって、原告の本訴請求は理由がないことに帰するからこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 森川憲明)

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